経験から見出す

パナソニック創業者松下幸之助の残した言葉の中に、「自己観照」という言葉がある。これは、自身を客観的に見つめ直し、自身の強みだったり欠点を理解した上で仕事を行うと言う意味である。これとほとんど同じ意味で、「メタ認知」という言葉が心理学にある。

メタ認知とは、アメリカの心理学者が定義した概念である。おそらく松下幸之助メタ認知という言葉は知らなかったはずだ。

つまり、松下幸之助は自身の仕事の経験の中から、遠いアメリカの心理学者が研究してきた概念を見出していたのだ。私たちは生きている限りたくさんの経験をするはずだ。それらの経験をなるべく無駄にせずに上手く加工し、俺理論として見出していきたい。

お前ならできる

「期待している」と言われる事がある。この言葉をかけられると、色々プレッシャーになってしんどい。

「お前ならできる」と言われると、何だかやる気が出る。

どちらの言葉もほぼ同じ意味な気がするが、どうしてこうも感じる印象が違うのだろうか?自分が自分自身に対してこの言葉を掛けてみる。

「期待している」という言葉を自分にかけてみる。俺は俺に期待している。何だかしんどいというよりはイラっとくる。いやいや、期待するだけじゃだめじゃん。自分で何とかしなきゃいけないんだから。

「お前ならできる」という言葉を自分にかけて見る。俺ならできる。俺ならできる。この言葉を繰り返していると、自分が今までにやり遂げたな様々な出来事を思い浮かぶ。あの時こんなに頑張れたのだから、俺ならできる。

お前なら出来るという言葉は、応援なのだ。応援されているから頑張れる。期待しているという言葉は、ただの期待なのだ。別に答えなくても良い。だって期待しているだけで何もしてくれないのだから。

長い目で見て諦めない

諦めない。この言葉は辛かったり苦しいことを耐えて頑張るという意味が自分の中で強かったが、最近自分の中でこの言葉の印象が変わって来た。

スポーツなどの試合で負けている時、なんらかの試験の前などにこの言葉を思い浮かべると、「きついけど頑張る」みたいな印象があると感じる。しかし、それは残り時間などの何らかの制限があるからではないだろうか?

制限を設けず、目標だけ定めてみると、諦めないということは以外と楽なんだと最近感じるようになった。

うさぎと亀の話で例えてみる。うさぎは亀との競争の途中で居眠りをしてしまい、亀に追い抜かれて負けてしまった。しかし、もしもゴールまでの距離がとても長かったら勝負はどうなっていただろうか?うさぎが目を覚ました時、亀がまだゴールしておらず、もしかしたらうさぎが追い抜いていたかもしれない。

必ずしも毎日コツコツ続けなくてはならないというわけでは無いのではないのだろうか?気が向いたときに一気に頑張り、気が乗らない時はサボったり居眠りする。だけど絶対に諦めない。サボっている間もなんとなく頭の片隅に目標を置いておく。こう考える事によって諦めないという言葉の難易度が自分の中で大きく下がった。

仕事をする上ではこの考え方は甘いかもしれない。決められた期間内に仕事をこなすことこそがプロだと思う。仕事以外でも頑張ろうとして疲れてしまったので、こんなことを思うようになったのかもしれない。

勉強が嫌い

私は勉強が嫌いだ。勉強が嫌いだから、もっと楽に短時間でたくさんの知識を身につける事ができる方法を探して、勉強のやり方について調べたり、大学でも学習方法に関わる研究をしてきた。

沢山勉強のやり方について調べてたどり着いた結論は、「楽な勉強方法など無い」という事だった。正しい勉強方法、間違った勉強方法はある気がするが楽な勉強方法は無いという結論にたどり着いた。どんな勉強法でも成果を出すためにはそれなりに時間がかかる。勉強嫌いの私が見出した絶望的な答えである。

この答えにたどり着く過程に、私は勉強の重要性にも散々気づかされた。変化の激しい今の時代は、勉強をするだけではなく、勉強し続けるという事が重要だと痛感した。

私は勉強が大嫌いなのに、勉強し続けないと不安になってしまう呪いに掛かってしまった。勉強が嫌いなのに、一日を振り返って何も学べていない日があると、不安で仕方が無くなってしまうようになってしまった。


近い将来、「勉強が好き」という題名の記事を書けるようになりたい。

雑なインプットに耐える

私はときどき上司から「雑なインプットにも耐えられる」と言う評価をいただく事があります。

「雑なインプット」とは何か?わたしはどうやってこの評価を得たのか振り返って見ました。

雑なインプットの正体

誰かに仕事を依頼するときは「やってほしい仕事」と、「仕事のやり方」をセットにして依頼すると思います。

例えば、「明日の13時からの会議の資料を参加者の人数分印刷する」という仕事の依頼がきました。この依頼のやって欲しい仕事は、簡単に言ってしまえば会議の資料を参加者に配るという事です。また、この依頼だけでは分からない情報がいくつかあります。会議の参加者の人数や、印刷機の使い方などです。このような情報のことを「仕事のやり方」というようにします。

雑なインプットの正体は、「仕事のやり方」の部分が少ない仕事の事だと私は考えています。

例えの話でいくと、ある程度会社で経験を積んでいくと、会議の参加者や、印刷機の使い方などは依頼主に聞かなくてもわかってくるはずです。さらに経験を積んで行けば、「明日の会議の資料配っておいて」と言われるだけでで依頼主の意図がわかり仕事が遂行できるのではないかと思います。

雑なインプットに耐えるって?

雑なインプットに耐えるためにはどうしたら良いのでしょうか?仕事の経験をある程度積んでいけば、仕事を完了させるうえで足りない情報を経験から補完できるようになると思います。つまり、仕事の経験を積んで行けば、雑なインプットに耐えることは勝手に出来るようになると思います。それでは、経験が少ない、またはほとんどない人は雑なインプットに耐える事は出来ないのでしょうか?

経験が無いのなら予想する

私は足りない情報を「予想」する事でも、ある程度は雑なインプットに耐えられるようになると思います。わからないのであれば、予想して仕事しちゃえば良いのでは無いでしょうか?足りない情報を予想することで出した仕事の成果の質は、悪いかもしれません。しかし、予想が少しでも当たっていれば、依頼主は予想が当たっている部分は教える必要がないのです。雑なインプットに対しては、予想をして雑なアウトプットを出す。これが私が行っていた「雑なインプットに耐える」なのかと思います。

予想するデメリット

仕事をする上で足りない情報を予想すると言う事にはデメリットもあると感じています。そのうちの一つは、予想するにも時間がかかるという事です。わからないことは質問した方が手っ取り早い場合も沢山あります。そこら辺のバランスをうまくとる事が大事なことなんだと思います。また、予想が大きく外れてしまった場合は目も当てられません。私は依頼主の意図を勘違いして大失敗した経験が何度かあります。経験と予想、質問を上手く使いこなして仕事をしていきたいです。

初めまして。


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見に来てくれてありがとうございます。オサーって言います。

今は組み込みエンジニアとして生きています。

年齢は今年で25歳になります。社会3年目ですがまだ新人気分が抜けません。

何となく情報発信がしたくてブログを始めてみました。

趣味や仕事、勉強の中で感じたことを気軽に発信していきたいです。